夏の甲子園で最も点差がついた試合は何点差だったか、ご存じでしょうか。結論を先に言うと、夏の選手権の最大点差は1936年の「23点差」、春のセンバツは1937年の「27点差」です。一方、地方大会では122点差という驚異的な記録もあります。甲子園とコールドゲームのルールをあわせて、点差の記録をわかりやすく紹介します。
甲子園の点差 最大記録の一覧
まず、春夏秋冬の甲子園大会における最大点差の記録を一覧でまとめます。戦前の大会では今よりも地域間の実力差が大きく、大差の試合が多く見られました。
| 大会 | 最大点差 | 年 | 対戦成績 |
| 春のセンバツ | 27点差 | 1937年 | 滝川中学 27-0 浦和中学 |
| 夏の選手権 | 23点差 | 1936年 | 静岡商業 27-4 長野商業 |
| 戦後の甲子園全体 | 22点差 | 1985年 | PL学園 29-7 東海大山形 |
いずれの記録も90年以上の歴史の中で、今も破られていません。では、それぞれの試合について詳しく見ていきましょう。
夏の選手権の最大点差は1936年の23点差!
夏の選手権における最大点差は、1936年の第22回大会1回戦で静岡商業が長野商業に27-4で勝った試合の「23点差」です。当時は戦前であり、野球の普及状況が地域によって大きく異なっていた時代でした。
夏の選手権では他にも、1930年の和歌山中学の「24-2」や1921年の同校の「21-1」など、和歌山中を中心とする大差の試合が記録されています。ただしこれらはいずれも戦前の記録です。
戦後最大は1985年PL学園の22点差!
戦後に限れば、1985年の第67回大会2回戦、PL学園が東海大山形を29-7で下した「22点差」が春夏を通じて最大です。この試合では、後にプロで大活躍する清原和博選手と桑田真澄選手の「KKコンビ」が全校をけん引しました。
PL学園があげた29得点は毎回得点という記録的な内容で、夏の選手権の1試合最多得点として今も残っています。5回終了時点で既に20-1と試合を決定づけていたとされます。
春のセンバツの最大点差は27点差!
春の選抜大会における最大点差は、1937年の第14回大会1回戦で滝川中学が浦和中学を27-0で破った「27点差」です。滝川中は1回表に6点をあげるなど、相手を無得点に抑えて完封勝利を収めました。
この27点差は春夏を通じた甲子園の最大点差の記録でもあり、同時にセンバツの1試合最多得点の記録にもなっています。
| 夏の選手権 最大点差 | 23点差(1936年 静岡商業 27-4 長野商業) |
| 春のセンバツ 最大点差 | 27点差(1937年 滝川中学 27-0 浦和中学) |
| 戦後の甲子園 最大点差 | 22点差(1985年 PL学園 29-7 東海大山形) |
| 地方大会の最大点差 | 122点差(1998年 東奥義塾 122-0 深浦) |
| 点差コールドの基準 | 5回10点差・7回7点差(地方大会のみ・採用の場合) |
甲子園ではコールドゲームが適用されない
ここでサブキーワードにもあるコールドゲームの話題に触れます。高校野球では点差によるコールドゲームの制度がありますが、選抜高等学校野球大会と全国高等学校野球選手権大会、全国高等学校軟式野球選手権大会には適用されません。
高野連の高校野球特別規則21条がその根拠です。
正式試合となるコールドゲームを採用する場合は、5回10点、7回7点と統一する。ただし、選抜高等学校野球大会、全国高等学校野球選手権大会、全国高等学校軟式野球選手権大会では適用しない。
(高校野球特別規則21条より引用)
このため、甲子園の全国大会ではどれだけ点差がついても9回まで試合が続きます。仮に7回終了時点で20点差がついていても打ち切られないのです。先ほどの大差記録が生まれた背景には、このルールがあります。
なお、地方大会の決勝戦も9回を終了しなければならず、延長戦に入れば天災以外のコールドは適用されないとされています。
高校野球のコールド 点差のルールとは?
地方大会で採用される点差コールドの基準は、2000年度の高野連通達で「5回以降は10点差以上、7回以降は7点差以上」と全国で統一されました。ただし、コールドゲーム自体を採用するかどうかは大会ごとに委ねられています。
つまり5回終了時に10点差、7回終了時に7点差がついていれば試合終了ですが、6回や8回終了時に条件を満たす場合もコールドとなります。甲子園の全国大会に出場するための切符をかけた地方予選では、実力差のある学校同士の組み合わせでコールドが見られることもあります。
地方大会の最大点差は1998年の122点差!
話題の中心は甲子園ですが、日本の高校野球全体で最も大きな点差は地方大会で生まれています。1998年夏の青森県予選2回戦で、東奥義塾が深浦に122-0で勝った試合が、得点・点差ともに日本記録とされています。2位の記録が72-0とされるため、その差は歴然です。
敗れた深浦高校は「試合放棄」をせず9回まで戦い抜いたことが評価され、小学校の道徳の授業の教材に取り上げられたと言われています。甲子園でコールドがないからこその記録と、地方大会の記録を比べるのも興味深いところです。
| 点差 | 年・ステージ | 対戦成績 |
|---|---|---|
| 23 | 1936年 1回戦 | 静岡商業 27-4 長野商業 |
| 22 | 1985年 2回戦 | PL学園 29-7 東海大山形 |
| 20 | 1930年 1回戦 | 和歌山中 24-2 北海中 |
| 20 | 2001年 1回戦 | 明豊 20-0 聖光学院 |
| 19 | 2022年 2回戦 | 大阪桐蔭 19-0 聖望学園 |
両校合計の最多得点記録も紹介
点差ではなく両校合計の得点に注目すると、最多は1924年大会1回戦の市岡中対横浜商の計34点(21-13)です。続いて1975年大会1回戦の中京対倉敷工の計31点(16-15)が挙げられます。
なお、2019年のセンバツ2回戦で山梨学院が札幌第一に24-5で勝った試合の計29点は、歴代3位タイの記録でした。近年でも大得点試合は生まれていることがわかります。
大差がつく理由と観戦の楽しみ方
戦前に大差の記録が多いのは、野球の指導者や施設の差が地域によって大きかったことが背景にあると考えられます。近年は情報化が進み実力差が縮まっているため、20点差を超える試合は珍しくなっています。
その一方で、大差がついても9回まで戦う甲子園のルールには、粘り強く戦う姿勢を評価する高校野球ならではの趣向があります。試合時間の観点からも、大差試合が時間に与える影響は興味深いテーマです。
野球の試合時間について解説した記事でも高校野球の時間の特徴が説明されているため、是非あわせて読んでみてください。
まとめ
甲子園の最大点差は、夏の選手権が1936年静岡商業の23点差、春のセンバツが1937年滝川中学の27点差です。戦後最大は1985年PL学園の22点差となっています。甲子園では点差コールドが適用されず9回まで試合が続くため、これらの記録はフルゲームの結果として残りました。地方大会の122点差と合わせて、高校野球の記録の奥深さを味わってみてください。









