皆さんはプロ車いすテニスの小田凱人選手をご存知でしょうか。
小田凱人選手は18歳という若さで、史上最年少で金メダルを獲得した選手です。車いすテニスプレイヤーになる理由は様々あると思いますが、小田凱人選手の場合は何だったのでしょうか。
また、車いすテニスは日常的に注目される訳ではないので、小田凱人選手の経歴などを知らない人も多いですよね。
そこで今回は、車いすテニスプレイヤーで金メダリストの小田凱人選手がなぜ車いすになったのか、経歴などを紹介していきたいと思います。
【車いすテニス】小田凱人はなぜ車いすに?テニスを始めた理由も
金メダリスト・小田凱人選手が車いす生活になったのは、9歳の時に骨肉腫という病気を発症したことが関係しています。
骨肉腫は100万人に1人〜1.5人という確率で発生する病気で、10代の人が発症することが多く、小田凱人選手の場合は左股関節の骨に悪性腫瘍ができてしまったようです。この病気は場合によっては足を切断することもあるそうですが、小田凱人選手は股関節だったので人工関節に換える手術を受けました。
小田凱人選手が車いす生活をしているのは、手術の後遺症で足の自由を失ってしまったからです。
テニスを始めた理由は?
小田凱人選手は幼少期からスポーツが得意で、将来はプロサッカー選手になることを目指していたそうです。しかし、小田凱人選手は9歳の時に発症した骨肉腫という病気でプロサッカー選手になるという夢は潰えてしまいました。
サッカーができなくなってしまった小田凱人選手ですが、スポーツに対する情熱は失わず、担当医の先生がパラスポーツを教えてくれて、車いすテニスの動画を見たときにビビッときたので競技を始めたそうです。
【車いすテニス】小田凱人のプロフィール・経歴を調査
辛い闘病生活やリハビリを乗り越えてきた小田凱人選手ですが、どのようなプロフィール、経歴の持ち主なのでしょうか。
小田凱人選手のことを詳しく知らない人のためにプロフィールや経歴を詳しく紹介していきたいと思います。
プロフィール
2024年に行われたパリオリンピックで金メダルを獲得した小田凱人選手のプロフィールはこのようになっています。
名前 | 小田 凱人(おだ ときと) |
出身地 | 愛知県一宮市 |
生年月日 | 2006年5月8日(18歳) |
身長/体重 | 175cm/??kg |
血液型 | ??型 |
利き腕 | 左利き |
学歴 | 一宮市立綾部小学校 一宮市立西成中学校 N高等学校 |
所属 | 東海理化 |
世界ランキング(2025年1月20時点) | 1位(シングルス) 4位(ダブルス) |
経歴
小田凱人選手は2020年に行われた18歳以下の世界一決定戦のジュニアマスターズの国際大会「Cruyff Foundation Junior Masters」に14歳で出場し、シングルスとダブルスで2冠を達成しました。
そして15歳という若さで小田凱人選手は、2021年に史上最年少で車いすテニスのジュニア世界ランキング1位となり、2022年4月4日に東海理化と契約を結び、プロ転向を発表します。
小田凱人選手はこれまでに全豪オープン準優勝、全仏オープンと全英オープンで優勝という成績を残してきました。
小田凱人が歩けるって本当?
車いすテニスプレイヤーとして活躍している小田凱人選手ですが、歩けるという噂があるのは本当なのでしょうか。
小田凱人選手は杖を使って、短い距離であるならあることができることを過去のインタビューで明かしています。しかし、長い距離を歩くことはできないため、家の中や人が少ないところといった限られた場所でしか行わないそうです。
杖を使ってでも小田凱人選手が歩くようにしているのは、足を動かすようにすることでバランス良く鍛えているためなんだとか。
まとめ
今回は車いすテニス・小田凱人選手がなぜ車いすになったのか、経歴などを紹介してきました。
小田凱人選手は9歳の時に骨肉腫という病気を発症したことが関係しており、担当医の先生からパラスポーツを教えて貰ったことをきっかけに車いすテニスを始めたそうです。
これまでに小田凱人選手はパリオリンピックで金メダル、全仏オープン、全英オープンで優勝という輝かしい成績を残しているので、引き続き注目していきましょう。