平尾誠二さんは日本代表として選手、監督の両方で活躍し、ミスターラグビーと呼ばれていました。
日本ラグビー界に大きな影響を与え、ミスターラグビーとまで呼ばれた平尾誠二さんでしたが、2016年10月20日に亡くなっています。平尾誠二さんの死因は何だったのでしょうか。
そこで今回は、ミスターラグビー・平尾誠二さんの死因は何なのか、輝かしい経歴などを紹介していきたいと思います。
ミスターラグビー!平尾誠二の死因は?どんな病気かも紹介
選手、監督として輝かしい成績を残した平尾誠二さんですが、死因は何だったのでしょうか。平尾誠二さんは2016年10月20日に亡くなってしまいましたが、当初は遺族の意向もあり、病名や死因について公表されていませんでした。
しかし、その後遺族からの発表があり、平尾誠二さんが2015年の秋頃から胆管細胞癌を患っていたことが明らかになります。
平尾誠二さんが患っていた胆管細胞癌とはどのような病気なのでしょうか。
胆管細胞癌の原因や症状などを詳しくみていきましょう!
手術を受けても生存率は低い
平尾誠二さんが患っていた胆管細胞癌は、手術を受けた場合でも1年生存率が81.7%、5年生存率は43.3となっています。一方で、手術を受けなかった場合の5年生存率は3.4%です。
胆管細胞癌は発見するのが難しく、発症する原因も明らかになっていないと言われています。
また、胆管細胞癌は閉塞性黄疸を発症する人が多いですが、これといって固有の症状はなく、かなり進行するまで体に異変が出ない場合もあるそうです。胆管細胞癌の主な症状は皮膚や白目が黄色くなったり、痒みが出たり、体重の低下、発熱、食欲不振となっています。
平尾誠二のプロフィール・輝かしい経歴を紹介!
選手、監督して輝かしい功績を残し、ミスターラグビーと呼ばれた平尾誠二さんですが、どのような人物なのでしょうか。
一時期はラグビーをしない時期もあったそうですが、その間に何をしていたのかも気になりますよね。
それでは、平尾誠二さんのプロフィールと輝かしい経歴を詳しくみていきましょう!
京都府生まれ!
ミスターラグビー・平尾誠二さんのプロフィールはこのようになっています。
名前 | 平尾 誠二(ひらお せいじ) |
出身地 | 京都府京都市南区 |
生年月日 | 1963年1月21日 |
没年月日 | 2016年10月20日(53歳) |
身長/体重 | 180cm/79kg |
血液型 | 不明 |
学歴 | 京都市立凌風中学校(旧:京都市立陶化中学校) 京都市立伏見工業高等学校 同志社大学商学部商学科 同志社大学大学院総合政策科学研究修了 |
大学選手権を3連覇!
平尾誠二さんはラグビーの名門校・花園高等学校に入学する予定でしたが、当時、伏見工業高等学校の監督であった山口良治監督に誘われて同校に進学しました。平尾誠二さんは高校3年生の時に全国大会優勝をしており、1982年に日本代表にも選出されています。
同志社大学に進学した平尾誠二さんは、大学3連覇を達成しましたが、1985年の日本選手権では日本製鉄釜石シーウェイブスに勝つことができませんでした。
その後、平尾誠二さんはイギリス・リッチモンドにラグビー留学をしています。
日本選手権で7連覇!
イギリス・リッチモンドに留学した平尾誠二さんでしたが、ファッション雑誌にモデルとして出ていたことがアマチュア規定に抵触してしまい、日本代表候補選手から外されることになってしまいました。
平尾誠二さんは急遽、日本に帰国してチームを探しましたが、それまで多くの企業からあったオファーは来なくなってしまったそうです。そんなときに以前から親交があった当時、神戸製鋼の専務だった亀高素吉さんから誘われます。神戸製鋼に入社した平尾誠二さんは日本選手権で7連覇という偉業を達成しました。
まとめ
今回はミスターラグビー・平尾誠二さんの死因は何だったのか、輝かしい経歴などについて紹介してきました。
平尾誠二さんは2016年10月20日に胆管細胞癌が原因で亡くなっています。この病気は発見するのが難しく、初期症状が出るのが遅く、固有の症状がないのが特徴です。
ミスターラグビーと呼ばれた平尾誠二さんは、同志社大学で大学選手権を3連覇、神戸製鋼に入社してからは日本選手権を7連覇という偉業を達成しました。