サイトアイコン All-sportsbet

ボートレースで死亡事故は多い?水上の格闘技?死亡した選手や原因も紹介

ボートレースで死亡事故は多い?水上の格闘技?死亡した選手や原因も紹介

水上の格闘技とも呼ばれるボートレース。時にはレース中に悲惨な事故が起こってしまうこともあります。

今回はボートレースのレース中に亡くなった選手について紹介します。

ボートレースの死亡事故は多い?

ボートレースの競技中の死亡事故は、これまでの歴史の中で33回起こっています。レース中に33人もの選手が亡くなってしまっているというのは多いようにも思えます。

他の公営競技と比較すると、競馬の死亡事故の数は20件、競輪の死亡事故の数は50件程、オートレースの死亡事故は96件確認されており、ボートレースが特別多いとは言えないことが分かりますが、これからも長くボートレースを行っていくにあたって、いつかまた死亡事故が出てしまうというのは避けられないことなのでしょう。

ボートレース中に亡くなった選手

ここからは、ボートレース中に亡くなった選手について紹介します。比較的近年の例を紹介しますよ。

中田達也

最初に紹介するのは中田達也選手です。2013年に選手登録し、2157回出走し1着496回、優勝回数7回を誇りました。

2022年11月6日、広島県廿日市市のボートレース宮島第10レースで、1号艇で出走した中田達也選手は3周目バックを走っていたところ他艇と接触して落水、そのご後続艇にも接触してしまいました。事故発生後すぐに病院に搬送されたものの、外傷性脳損傷で命を落としました。享年29歳でした。その旨はボートレースオフィシャルサイトでも伝えられています。

こちらは中田達也選手の事故を扱ったニュース映像です。

出典元:【公式】HOME広島ニュース

小林晋

続いて紹介するのは小林晋選手です。1999年にデビューした小林晋選手は通算3325戦で343勝、12度の優出を記録しましたよ。

小林晋選手は2022年1月12日、BOATBoyCUP静波まつり杯最終日のボートレース多摩川第6レースの6号艇で出走しました。しかし2周向こう正面、3番手を争うバックストレッチ航走中に他艇と接触してしまい、転覆。その後、後続艇と接触してしまい命を落としました。享年44歳でした。当時の報道では、死因については「調査中」とありましたが、その後小林晋選手の死因については公表されなかったのか、正確な死因については情報がありませんでした。

松本勝也

続いて紹介するのは松本勝也選手です。1991年にデビューした松本勝也選手は6838回出走し、1着1798回、優勝回数42回を誇りました。

松本勝也選手は2020年2月9日、第63回G1近畿地区選手権4日目の尼崎競艇場第9レースで出走しました。しかし1周目2マーク旋回時に自艇が転覆してしまい、その後別の選手のボートとも接触して負傷、心肺停止状態で病院に搬送されました。この時松本勝也選手には大きな外傷はなかったようなのですが、しかし肺に水が溜まってしまい、溺死で亡くなってしまったのです。享年48歳でした。

岩永高弘

続いて紹介するのは岩永高弘選手です。1996年にデビューした岩永高弘選手は2586回出走し1着回数271回、優勝回数1回を誇りました。

岩永高弘選手は2010年5月1日の若松競艇場「スポーツニッポン杯争奪 GW特選競争」4日目1Rで出走しました。しかし2周目の第2ターンマークを旋回した後に隣の艇と接触してしまい、転覆。この時に後頭部背面に艇の直撃を受け、救出、搬送時には既に心肺停止状態に。そのままこの世を去りました。享年36歳でした。

坂谷真史

最後に紹介するのは坂谷真史選手です。1999年にデビューした坂谷真史選手は1376回出走し1着回数394回、優勝回数14回を誇りました。

坂谷真史選手は2007年2月26日の住之江競艇場「大阪府都市競艇組合主催GI第50回住之江周年記念『太閤賞』」に出場し、競争6日目の第3レース一般戦で5号艇6コースから出走、2周1マークで2号艇との2番手争いで激しく競りました。その際、差しハンドルで相手を抜こうと試みた際に6号艇と接触し転覆、事故艇を回避していた3号艇の位置に浮上して巻き込まれてしまい、脳幹裂傷と頭蓋骨骨折の合併症でこの世を去りました。享年26歳でした。

最後に

今回はボートレースで亡くなった選手について紹介しました。ボートレースは水上の格闘技と呼ばれることもある激しい競技です。転覆後に後続と接触してしまう事故が死亡に繋がりやすいのですね。

モバイルバージョンを終了